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とうこ谷山・巨人の足跡〈品地ルート〉(宇部市市小野、美祢市真名) [県西部の山]

美東町文化研究会の「温故知新第33号」(平成18年4月発行)で、「水落集落に伝わる市小野伝説 - 役の行者小角「巨人(おおびと)の足跡」発見 -」(投稿者:平山智昭氏)という一文を見付け、踏査したいと思っていたところ、このたびやっと実行に移した。
残念なことに足跡の位置を示す図や写真は掲載されておらず、本文の説明に頼るしかないため、多少不安を覚えながらの山行となった。結局下見を含め3回にわたり現地を歩いたので、まず初めの2回までを報告したい。(2013.06.08, 06.12)
P1100285宗国側(北西)から山頂.JPG宗国側からとうこ谷山
とうこ谷山3.jpg (クリックで拡大)

●投稿文
参考とした平山氏の投稿文の一部をそのまま以下に転載する。
「 市小野字品地の冨永雄一郎氏宅の下を東に向けて五百メートルも入ると、以前住んでいた平山寛治氏の宅地跡に着く。ここをさらに六百メートル山頂をめざして進むと、左右は以前耕作していた棚田の形跡が続き、ある所は梅や果樹が植えられ、ある場所は杉の植林。またあるところはそれも放置されて、茅藪や雑木が生い茂っている。しかし、水田であった畦畔の石垣や小川のせせらぎには橋の残がいも見られ、過ぎ去りし面影に心を締めつける。
 この辺りの地名を地下のものは「大男(おおびと)」というと教えてくれた。これこそ歴史や史跡に残る「巨人(おおびと)の足跡」を地名として今も語り継いでいる証拠といえよう。この地名になっている「大男」に入って約百メートル山頂を目ざして急傾斜をよじ登ると、九合目あたりの位置に「巨人の足跡」という平地に出合う。
 足跡というからには、いくら巨人といえどもたかが畳二・三枚のくぼ地であろうぐらいに予想して訪ねたが、なんと百平方メートルもある広さである。そしてこの広場は、踏みつけた平地のものではなく、山の斜面を切り開いて平地にしている。ここからは下方に水落の集落が一望でき、遥か向こう遠くには役の行者の創建した、真言宗浄福寺から越えて来る昔の幹道「跳越し垰」が見渡される地形にある。また「跳越し垰」とここの「巨人の足跡」のある延長線上には。前記している市小野の真言宗光福寺古跡不動明王堂が存在する。この「巨人の足跡」をさらに頂上目ざして登ると「仏坂山」という地名の峠に出る。現在は中国高速自動車道が轟音を響かせて、峠の下の「仏坂トンネル」を走っているが「仏坂」という地名なれば、どんな仏が祀られていたのか、真言仏教に関係あるものであれば、この伝説はいっそう磐石なものになりそうだ。 」

●第一回目の調査
一回目は四十笛山の帰路、時間があったので下見のつもりで立ち寄った。
適当な駐車地がなく、道路の交差部分に駐車。
集落道をすぐに左折し、民家下の山際沿いに延びる舗装道を東進する。
P1100239集落道に入る.JPG民家下の舗装道

未舗装道となり植林帯に入ると、左の石垣上に民家跡(平山氏宅?)を見る。その先にポンプ跡や倒壊したトタン小屋跡がある。
P1100212草被り道.JPG草被りの幅広道
P1100213山道.JPG山道
P1100245スギ植林帯沿い.JPG植林帯沿いを進む
P1100247民家跡の石垣.JPG民家跡の石垣
P1100215ポンプ跡.JPGポンプ跡と倒壊小屋

ここから北へ方向を変え、植林帯となった棚田跡と沢の間の草被り道を進む。対岸の平坦地は果樹園跡のようだ。
P1100216棚田沿いの道.JPG棚田跡沿いの道
P1100250棚田跡.JPG棚田跡
P1100217果樹園跡?.JPG果樹園跡?
P1100218沢沿いの踏み跡.JPG沢沿いの踏み跡

棚田跡の最奥部で右に踏み跡が分かれるが、そのまま地形図記載の破線道どおり直進する。
P1100219山道分岐.JPG山道分岐

右に杉植林帯を見ながら進むと土手が現われる。ここで道が不明瞭となるが、直進するとふたたび山道が続く。
P1100221山道.JPG植林帯沿いの山道
P1100222土手.JPG土手

右に平坦地を過ごすとまもなく、倒木等で道が塞がれ大ヤブとなる。ここで先に進むか戻るか思案したが、峠まで何とか行ってみることにした。
P1100223平坦地.JPG平坦地
P1100224ヤブ道.JPGヤブで道が塞がる

ヤブを踏みしだきながら少しずつ進み、なんとか抜け出すと再び道が現われる。
P1100225山道に出る・鞍部手前.JPG山道が現われる

竹やぶの中を進むと周りが開け鞍部へ着く。
明瞭な山道が前方の谷から上がっている。
P1100227北側の谷に山道.JPG北側の谷に山道
P1100226東尾根・竹林.JPG東尾根の竹林
P1100228西尾根・植林境.JPG西尾根・植林境

この日はそのまま山道を下り、草被りの林道を歩いて舗装道へ出た。
P1100229谷沿いの山道.JPG谷沿いの山道
P1100230耕作放棄地・林道.JPG林道


●第二回目の調査
二回目は三角点山頂をめざし、ふたたび品地側から入った。
宅地跡の先の棚田跡最奥部までは同じルートを取った。ここで山道と分かれ、右の植林帯沿いの踏み跡をたどり溝状の沢伝いに歩く。
P1100253溝沿いの踏み跡.JPG溝沿いの踏み跡

まもなく踏み跡が不明瞭となるので、反対側(北側)の山際へ移ると、踏み跡に出会う。
これもまもなくヤブで不明瞭となるので、左の斜面を少しよじ登ると、雑木ヤブの荒れた山道に出会う。
P1100254山際の荒れ道.JPG山際の荒れ道

右折し、そのまま山道をたどると次第に明瞭道となる。
P1100255道幅が広くなる.JPG明瞭な道

竹林が現われ、植林谷を巻きながら進む。
P1100256竹林が現われる.JPG竹林が現われる
P1100257植林谷の巻き道を進む.JPG植林谷の巻き道を進む

大岩を左に回り込むと竹林となり、やがて倒竹で道が塞がり行く手を阻まれる。
P1100259大岩.JPG大岩
P1100260倒竹の荒れ道となる.JPG倒竹の荒れ道

そこで下の植林谷へ降って、沢を渡り、歩きやすいところを選びながら谷を進む。
P1100262谷を挟んで反対側の山際へ逃げる.JPG反対側の山際へ逃げる

谷分岐で右に取る。(左の谷を詰めるのも可能と思われるが、上方の平坦尾根の状況を確認する意図もあり右を選んだ)
植林帯の斜面に残る踏み跡をたどり谷を詰めると、尾根へ出る。
P1100264植林帯の踏み跡を登る.JPG植林帯の踏み跡を登る
P1100265支尾根へ上がる.JPG支尾根へ上がる

雑木平坦尾根は所々シダや雑木のヤブとなっているので、雑木疎林に逃げ込みながら進む。
P1100269平坦尾根上のしだヤブ.JPG平坦尾根上のシダヤブ
P1100270平坦尾根の雑木ヤブ.JPG平坦尾根の雑木ヤブ
P1100271平坦尾根.JPG平坦尾根
P1100272平坦尾根.JPG平坦尾根

平坦尾根から勾配のある雑木尾根に変わり、登り切ると、支尾根が合流する平坦小ピークに着く。倒れた石柱がある。
P1100274雑木ヤブ.JPG雑木ヤブ
P1100275倒石柱.JPG倒石柱

一旦鞍部へ下り、竹林ヤブを抜けると、三角点山頂に着く。
P1100277竹林ヤブ.JPG竹林ヤブ
P1100278山頂手前の竹林(掘削跡あり).JPG山頂手前の竹林(掘削跡あり)

山頂は雑木に囲まれ展望は得られない。四等三角点(名称「宗国」)や石杭、コンクリート柱などが設置されている。
P1100279三角点山頂.JPGとうこ谷山山頂

帰路は北側に延びる平坦支尾根を下り、尾根先端部の分岐を右に取る。
P1100280雑木ヤブ尾根.JPG雑木ヤブ尾根 
P1100281小ピーク上の石杭とプラ杭.JPG小ピーク上の石杭とプラ杭
途中から急勾配となり切り開きも不明瞭となるので、雑木疎林ヤブを分けて下ると、未舗装の林道へ降り立つ。
P1100282雑木ヤブ斜面.JPG雑木ヤブ斜面
P1100283下山口.JPG下山口

林道路木線から宗国側の集落道へ出て、むくろぢ垰を越え駐車地へ戻った。
P1100286西麓から山頂方向.JPG西麓から山頂方向
P1100287遠久池・高嶽山.JPG遠久池・高嶽山
P1100233駐車地の道しるべ.JPG駐車地のすぐ上に道しるべ
P1100238平原岳.JPG駐車地付近から平原岳

なお、近くには大歳神社があり立ち寄るとよい。また向かいの市小野公民館には周辺の史跡探訪地図が掲示してあり参考になる。
P1100235.JPG大歳神社

●「巨人の足跡」の考察
平山氏の投稿文の内容から足跡の位置を考察してみた。
宅地跡までは文章どおりのルートと思われるが、問題はその先である。
投稿文の内容を要約すると、「宅地跡から約600mで「大男」。さらに100m急斜面を上がると「足跡」のある100㎡ほどの平坦地に出る。ここが九合目にあたる。そして頂上の「仏坂山」という峠に至る。下には「仏坂トンネル」がある」ということになる。
平山氏の距離の記載がある程度正しいと仮定すれば、地形図と照合する限り、山頂は287.2mの三角点ピーク以外には考えがたい。トンネル付近のいずれかのピークでは明らかに遠すぎるし、品地側からたどるには巻き道を取らざるを得ないが、そのような記述はない。
したがって、平山氏が「仏坂山」としたのは三角点山頂ではないかと考える。
そこで三角点山頂を平山氏が言う「仏坂山」と仮定して、記述の内容を現地に当てはめてみると、山頂から南に延びる支尾根上に「巨人の足跡」があると推測される。
ここで、足跡のある九合目が支尾根上のどこかということになるが、今回谷詰めをして支尾根上にあがったあたりから倒石柱のある小ピークまでの、尾根上のいずれかの平坦部分になると考えられる。
ただ、今回尾根上を歩いた限りでは100㎡程度の平坦地は何ケ所もあるが、山の斜面を掘削して平らにしたものではなく、いずれも加工を施さない通常の平坦尾根のように思われる。ただし、シダや雑木で藪となっているところが多く定かではない。
一方、現在は竹林ヤブとなっているが山頂の南面直下に掘削した平坦地がある。ただし広さは充分あるが、九合目にしてはあまりに近過ぎる。
また、「大男」という地名の位置だが、旧宅地から600mということは、谷を東に向かった標高220mの谷分岐付近と思われる。そこから足跡までは「急傾斜を100mほどよじ登る」とあるので、足跡の位置は標高270mぐらいまでの支尾根上の平坦部分のいずれかになると推測される。
上記のとおり、足跡の位置を特定する確証となるものは今回得られなかった。

●山名考
平山氏の投稿文に「真言宗 役の行者 修験道」(今から約600年以上前を記したもの)という付近の概略図が載せてある。
これによると峠(仏坂?)を通る昔の幹道の西側に巨人の足跡、東側に仏坂山が描かれている。また水落からの里道はとうこ谷山(三角点山頂と思われる)の南を通り峠へ通じている。これからすると昔は仏坂への巻き道があったのかもしれない。
村境には山名が記されており、地下上申一ノ小野村の隣村境書に記された山名の並びと符合する。また地下上申真名村の隣村境目書では「とうこ谷山」が「割藪山」、「仏坂山」が「仏坂」とされているほかはほぼ同様の山名が記されている。
柳小野から宗国へ抜ける道は、現在の仏坂トンネル上の峠か、その西にある標高200mピークの西側の峠を通っていたのではないかと思われる。
いずれにしても「仏坂山」が三角点ピークであるとは考えがたい。
したがって、ここでは地下上申の記述から、三角点ピークを「とうこ谷山」と推定した。