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天竺(美祢市於福町下、大嶺町北分) [県北部の山]

4年半ぶりに歩いてみた。天竺という名前に何となく惹かれたのか、過去2回ほど歩いている。天竺台山とも言うように、山頂部は台形状の緩やかな地形となっている。今回は平国木(ひらくにぎ)側jから登り、山向こうの真木側へ下ってみた。
P1060337天竺(真木側から).JPG天竺(真木側から)
天竺.jpg (クリックで拡大)

吉友橋を渡ると、丸山踏切の手前に駐車スペースがある。
踏切を渡ると、すぐ左に石を祀った祠があり、その先の斜面上にも小社がある。
P1060294祠.JPG
P1060295小社.JPG小社

集落道を進み、平国木集落に入ると、民家手前の畑の端から幅広の山道が延びており、ここが登山口となる。
P1060297前方に山頂方面がのぞく.JPG前方に山頂部がのぞく
P1060298登山口.JPG登山口

まもなく幅広の山道が終わると左の山道へ入る。
P1060299幅広道終点.JPG幅広道終点

竹林の中にイノシシワナを見て、その先の分岐で支尾根に取り付く。
P1060300竹林とイノシシワナ.JPG竹林とイノシシワナ
P1060301山道分岐.JPG山道分岐

草被りの荒れた山道を抜けると、凹状の山道がトラバース気味に続き、これを忠実に辿る。
P1060302荒れ気味の山道.JPG荒れ気味の山道

スギ、タケ、ヒノキと変わり、支尾根上で右からの明瞭な山道と合流する。
P1060303スギ林.JPGスギ林
P1060304竹林.JPG竹林
P1060305ヒノキ林からわずかな展望.JPGヒノキ林からわずかな展望
P1060306支<strong>尾根合流</strong>.JPG

支尾根を右に巻きながらスギ林を進むと、再び支尾根上に出る。
P1060307スギ林.JPGスギ林

平坦尾根を進み、タケ林に変わると間もなく植林帯となる。直登方向へ続く道と分かれ、少し不明瞭だが右のトラバース道へ入る。
P1060308竹林に変わる.JPG竹林に変わる
P1060310分岐.JPG右へトラバース

植林帯の中に作業道が残っており、これをたどる。
P1060312植林帯(逆方向).JPG植林帯(逆方向)

谷詰めに変わると倒木帯にぶつかるので、右に避けると、すぐ上方で再び作業道に出る。
P1060311スギ林.JPGスギ林
P1060313スギ倒木帯(逆方向).JPGスギ倒木帯(逆方向)

まもなく主尾根鞍部に出る。主尾根方向に道がないので、右の巻き道へ入り、植林帯沿いに進む。以前は明瞭な道だったが、倒木等でやや荒れている。
P1060314主尾根鞍部とトラバース道.JPG主尾根鞍部とトラバース道
P1060315少し荒れたトラバース道.JPG少し荒れたトラバース道

200mほど進んだ支尾根上で下り加減となり、道が怪しくなるので、ここから左の植林帯急斜面を直登する。
P1060316山道終点・支尾根.JPG支尾根で山道消失
P1060317植林尾根の直登.JPG植林尾根を直登
P1060319直登(逆方向).JPG直登斜面(逆方向)

山頂部の一角に出ると右折し、平坦な植林境を進む。
P1060318主尾根の植林境.JPG主尾根の植林境

樹幹に「天笠」と記された古い山名札を見るが、一旦鞍部へ下り登り返すと、標高376m地点の平坦ピークへ出る。
P1060323手前ピークの山名札.JPG古い山名札
P1060320山頂手前鞍部.JPG鞍部
P1060321山頂.JPG標高376mピーク(山頂)

平坦ピークは赤いポールがあるぐらいで、樹木に囲まれ展望も相変わらずない。少し南に進むと植林帯の間からほんのわずかに開けるが、展望と言えるほどのものではない。
P1060322.JPGピーク先で樹間越しわずかな展望


帰路は、植林帯の急斜面を支尾根まで急降下し、さらに主尾根鞍部の少し手前まで戻り、植林の支尾根上に残る踏み跡を下った。なお、地形図上ではひとつの支尾根だが実際には二つの支尾根が平行に下っており、いずれを取ってもよい。倒木伐採地に出て、踏み跡が不明瞭になるあたりで支尾根間の谷へ下ると、林道終点部に降り立つ。
P1060325支尾根の下山箇所.JPG支尾根下山地点
P1060326林道終点部.JPG林道終点部

林道は初め作業道程度だが、やがてしっかりとした道に変わる。
P1060327林道.JPG林道
P1060329林道.JPG林道

そのまま下って、わずかの距離だが草被りの箇所を抜けると、車止めのチェーンの先が広場(駐車可)となり、すぐ先で林道分岐に出る。
P1060330林道入口・草被り(逆方向).JPG草被りの林道出口(逆方向)
P1060331林道入口(分岐部).JPG林道分岐(逆方向)

ここからかなり遠回りとなるが、山麓を反時計回りで、真木から重安に抜け、駐車地まで戻った。
途中、「耕神」と刻まれた石碑を二基ほど見かけたが、このあたりでは、庚申塚をこのように記すのだろうか。
P1060332谷山分岐部.JPG谷山への分岐
P1060334耕神.JPG耕神
P1060339耕神.JPG耕神
P1060343天竺(吉友側から).JPG天竺(吉友側から)

■山名考
以前の地形図では「天笠」と記されていたが、現在は「天竺(天竺台山)」と訂正されている。
地下上申の於福村の項には、「天竺台山」、「天竺台」の名が見られ、大嶺村の項には、「天竺山」の名がある。「天竺」とは高台を意味すると思われる。平坦な山頂部に比して、周辺部は急峻であり台形状となっていることから、このように呼ばれたのかもしれない。

■追記

天竺台山について記された資料があったので紹介しておく。

●『みねぶんか 第16号』(美祢市郷土文化研究所 昭和60年8月1日発行)
  「語り継がれた話 大嶺町高齢者学級」 真木 阿部俊正 

○天竺山
 真木部落の東向に通称天竺山と言う山がある。標高は三百五○米位で、この山は羽永、山崎、重安、榎田、平国木からも上れる道がついておる。頂上は広い台地になっている。古老の話では、二の山の頂きに市場があって近在は勿論遠くの村からも商人が集り、毎月三回定期的に市が立っており、物品の売買交換等が行われており賑やかでエビス様も祭っており、この付近での経済的取引の注進をなしていたと言う。それが、次第に人智の発達により住民が平野部へと移った。その後、天竺のエビス様を曽根に持って行かれた。そのために天竺は衰微して行き曽根に市が立つ様になったが、その後、さらに時代が変って曽根のエビス様が伊佐の人に盗まれ(た)今度は伊佐に市が立つ様になったと言う。伊佐は近年まで月三回市場を開いていたが、時の流れで今は市も立たなくなった。天竺に市が立っていた実証として天竺の辻から陶器のかけらや、その他から今でも沢山出土している。

○大人の足跡
 むかし、むかし、この附近にはとても大きな人が住んでいて、真木の東向の天竺山と西南の大迫山の辻とを一股に股げたと言う伝説があり、天竺山と大迫山には今もその大人の足跡が残っている。筆者もその足跡と言うのは見たことがある。


 そのほか、『美祢市史』(昭和57年刊)の「第9編 民俗」の項には、「お伝の呪い」という、平国木の殿山とう小山にまつわる民話が紹介されている。