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龍岩(宇部市西吉部) [県西部の山]

今年5月、ローカル新聞で龍岩探訪バスツアーの記事を見付けて以来、ずっと気になっていたので歩いてみた。地元の方々と集落支援員が協力して整備されたらしく、各所に道標が立てられている。
P1060216龍岩.JPG龍岩
龍岩.jpg (クリックで拡大)

藤ヶ瀬地区に入り目的地近くまで来ると、圃場整備碑とお旅所があり、そばに木製の道標が立っている。右方向が「龍岩・むすび岩・山城」、左方向が「大神岩・雨乞い・高合石」と書かれている。まずは龍岩をめざすことにする。
P1060206圃場整備記念碑.JPG圃場整備記念碑・お旅所
P1060205道標.JPG道標

藤ヶ瀬自治会館と荒人神社が建つ小広場まで車で上がる。神社の右手が登山口となっており、急勾配の登山道が付けられている。
P1060209荒人神社.JPG荒人神社
P1060275登山口.JPG登山口

竹林沿いの道を登ると平坦地に出る。「荒人神社跡」の看板がある。
P1060276登山道.JPG登山道
P1060277荒人神社跡.JPG荒人神社跡

少し上がると道標に従い左折し、龍岩へ向かう。
P1060278分岐道標.JPG分岐道標

すぐに前方が開け眼前に龍岩が現れる。周辺は竹林が伐採され、浄円寺が見下ろせる。
P1060279龍岩.JPG龍岩
P1060282龍岩から浄円寺.JPG龍岩から浄円寺を遠望

龍岩の少し上には「むすび岩」がある。
P1060281むすび岩.JPGむすび岩
P1060283むすび岩上方から.JPGむすび岩上方からの展望

むすび岩の上で伐採地が終わり、道標に従い左折すると、「山城」の看板が立つ小ピークに出る。浅い掘割りが円形状に残っている。
P1060284山城跡.JPG山城跡

下りは踏み跡とテープを頼りに尾根上をそのまま下り、龍岩への分岐点へ出た。
P1060227龍岩遠望.JPG浄円寺付近から龍岩遠望
P1060225龍岩遠望.JPG龍岩遠望(拡大)

■山名考など
龍岩等については、『改訂 吉部郷土史話』(平成13年4月、吉部郷土史話編集委員会発行)が参考になる。また、龍岩探索の後、次をめざし農道を歩いていると、登山道を整備したという地元の方3名に偶然出会い、いろいろとお話を伺った。

◆龍岩、山城
郷土史話によれば、龍岩のあるこの地には大内義隆の重臣中山備前守の城があり、慶長年間に備前守の子孫が同地に龍岩山浄円寺を建立したが、その後、明治年間に現在地に移築されたという。また、浄円寺が建つ前には光林坊という禅寺があったという。
これらから中山備前守の城→光林坊→浄円寺という図式が成り立つ。したがって小ピーク上の山城が中山備前守の城とすると、光林坊や浄円寺も山頂に建っていたことになる。
しかし、郷土史話の龍岩の説明では、「光林坊の跡に浄円寺が建立せられたがその上に龍岩があったので、龍岩山浄円寺との山号をつけられた」とあり、両寺とも龍岩の下に建っていたと推測される。また地元の方の話でも、移築前の浄円寺は龍岩の下の平坦地にあったということであり、そのことが裏づけられる。
したがって、小ピークが山城とすれば、中山備前守の城とは別のものか、中山備前守の城とすれば、光林坊と浄円寺は、正確には城跡に建てられたのではなく、その麓に建てられたのではないだろうか。

◆飯山
郷土史話には、「飯山」(いいのやま)について、「龍岩と相対する所に飯山がある。その山容、飯を盛ったようなのでこの名があり。伝説に龍岩頭をあげて飯米を食う。飯山はその食料補給地であると伝わっている。中山備前守一家の墓地および一字一石の経塚もまたここにあると伝わっている」と説明がある。
地元の方の話によれば飯山はむすび岩とのことだが、郷土史話の説明でも明らかなように岩の名前ではなく山名と思われる。
「龍岩と相対する所」ということに着目し、龍岩から眺められる範囲で「飯を盛ったような形の山」を探してみると、浄円寺の上方にある、標高点285mの小山が目に留まる。浄円寺がこの地に移ったのも何か因縁があるように思われる。ここに古墓や経塚が見付かれば間違いないと思われるが、どうだろう。