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鋤崎(周防大島町日見・横見・東屋代) [県東部の山]

馬の背・頂海山の縦走後、新たに見付けた岩屋観音(日限地蔵)のことが気になり出し、縦走路のエスケープルート探索も兼ねて再訪した。(2011.01.13)
鋤崎.JPG (クリックで拡大)

参道が北麓の川地側から付いているに違いないと踏んだが、南麓日見の木原側から延びる林道から入るのが見やすそうなので、まずこちらからアプローチしてみた。
P1010196日見側の林道.JPG日見側の林道

林道最高部付近のヒノキ林支尾根上に踏み跡があったので取り付いたところ、まもなく消失し、竹ヤブの間を縫って鞍部までトラバースする羽目となった。同じヤブなら林道最高部の谷から取り付いた方が短くてよかったかも知れない。
鞍部からは尾根を左に取り、頂海山頂へ向かって進むとすぐに溶岩壁にぶつかるので、右に巻くと踏み跡が岩屋観音まで続いている。
P1010200溶岩.JPG溶岩

先日歩いた時は夕刻前で薄気味悪く岩屋の中に入らなかったので、今日は石仏を間近で見たところ、右側の石仏は意外に新しく昭和の年号が刻まれていた。

その後、鞍部へ戻り、北側の谷を川地方面へ下りミカン畑に出た。上方は踏み跡が不明瞭であるが、中腹からミカン畑までは何とか山道がある。ヤブは大したことはないが下りに使った方がわかりやすいだろう。
P1010203倒壊トタン小屋.JPG倒壊トタン小屋

帰路はもう一度鞍部まで戻り、左折してヒノキ植林境尾根を登る。412mピークを越えて、緩やかな尾根を登り切ると、鋤崎山頂(474mピーク)へ着く。山名から展望を期待するが、現在のところ見晴らしもなく、小杭がある程度の平凡な山頂である。
P1010205鋤崎山頂.JPG鋤崎山頂

イバラがはびこる植林境を下ると、鞍部へ出る。
鞍部では先日見落とした石祠を探索したところ、ササと倒木で隠れているのを見付けることができた。6年前に歩いた時には手入れがされていたが、今は全く放置されているようだ。石祠には「文政三年庚辰」とある。前回の記録によると「大峠八幡宮」と呼ばれていると思われる。
P1010207石祠.JPG石祠

鞍部からは、以前歩いたことがある大歳側へ下ることにした。
前回はこの石祠の参道と思われる明瞭な道を下ったのだが、今回下ってみると、まもなくもの凄いササヤブ帯にぶつかり、突入を断念。ササヤブをよけながら、棚田跡をトラバースしてやっとのことで明瞭道に合流した。
そのまま山道を下ると、堰堤付近で林道に出る。
P1010209雑木尾根.JPG明瞭な山道
P1010210堰堤.JPG堰堤

途中「媼(ばあ)がふところ」と書かれた道標があったので(前回もあり)、名所旧跡の類かと思い、麓でお年寄りに尋ねたところ、ご存じなかった。また、474mピークの山名を尋ねたが、「聞いたことないねぇ。このあたりであの山に上がった者はいないよ。最近は若いもんがいないんで、山の手入れもしなくなったねぇ。」と嘆いておられた。
P1010208媼がふところ.JPG媼がふところ道標

■山名考
474mピークは、「防長地下上申」によると、横見村及び日見村では「鋤崎之頭」、屋代村では「俵が段頭」と記されている。
また、時代が下った「防長風土注進案」によれば、日見村では「鋤崎」、横見村では「鋤鉾」、屋代村では「烏帽子が瀧」(注釈に「日見村にて『鋤鉾』という」とある)と記され、また、志佐村の頂海山の説明に、「日見村鋤鋒(サキ)山より起こり」とある。

これらから、西麓側の村では、漢字の違いはあるが、共通して「スキサキ」と呼ばれていたと推測される。よって、ここでは「鋤崎」を山名として採用することとした。

■地名考
「媼(ばあ)がふところ」に似た言葉として、「姥ヶ懐(うばがふところ)」がある。これは、中世ごろから全国的に使われた地名のようで、その意味は諸説がある。

「地名語源辞典」(山中襄太著、校倉書房、S43年発行)によると、「うばがふところ【乳母が懐】 各地によくある地名。通説として、自然に風をふせぎ、日あたりよく、ちょうど乳母のフトコロのような地形の名という。いろいろの説がつたえられている。」とある。

また、「続・山口県地名考」(高橋文雄著、山口県地名研究所、S54年発行)には、「……この地名は全国的にも多いが、県下では岩国市天尾、徳山市川上、下関市長府、豊田町楢原などにあり、また老母ヶ懐(下関市関後地)と書くものもある。ウバガフトコロとは「自然に風を防ぎ、日当りがよく、ちょうど乳母の懐のような地形」のことをいうのが通説であるが、一説に、地勢が製陶に適しているため、愛知県瀬戸市をはじめ古来製陶業が発達したというが、県下のものには当たらない。……」