大遠・春ノ木(上関町祝島) [離島の山]
4年前はじめて渡島したときに出会ったお爺さんが、島で一番高いのは「ハンノキ(春ノ木)じゃろ」と言っていたのが気になっていた。「祝島ホームページ」にある「観光案内図」によると春ノ木のさらに先の支尾根上には「村上水軍物見場跡」もあるようだ。(その前に「?」が書いてあるようにも見える。案内図の解像度が低くはっきりとは読み取れない)
そこで今回三角点ピークの「大遠(オオトオ)」から「春ノ木」の先の物見場跡まで、とにかく行ってみることにした。なお島では山名を小字名で呼んでいるようなので、ここでもそれを採用した。(2015.02.20)
農道から大遠
(1,2クリックで拡大)
今回も午前6時10分出航の船に乗る。1週間前より夜明けが少し早くなったようで、港に着いたときは空がやや白んでいた。
定期船「いわい」
まずは宮戸八幡宮をめざす。
農道分岐
宮戸八幡宮
八幡宮からは近道をして農道へ出る。
近道
農道と合流
行者堂・平家塚の道標がある分岐までは前回と同じルートを取る。
農道分岐①
分岐道標
天田島・八島
祝島集落・牛島
農道分岐②
尾根取り付き(逆方向)
農道カーブ地点に出る
平家塚・行者堂分岐
そのまま舗装農道を進むと、右カーブのところで前方に大きく視界が開け、大遠へ続く山並みが眺められる。
コンクリート橋を渡るとすぐ左に未舗装道が分岐する。そのまま舗装道を直進し右へカーブしながら登り切るとカタイ溜池へ出る。前方に山惣津山方向の緩やかな尾根が望める。
道標
農道
宇和島・ホウジロ島
溜池分岐
カタイ溜池・山惣津山方向
分岐へ戻り、未舗装農道へ進む。
未舗装農道
岩
天田島・平郡島(奥)
1kmほど進むと道沿いに資材が置かれたところで農道終点となり、細々とした山道に変わる。
農道
道路脇の資材・農道終点部
山道
200mほどで分岐となる。下へ向かう明瞭な左道ではなく、荒れた方の右道を取る。
イバラなどがはびこり、4年前よりかなり荒れており、最近人が入った形跡がないので、右道は見落としやすい。
山道分岐
荒れ道
荒れ道が続く
ヤブを杖でたたいて道を開きながら進み、右へカーブになるとすぐに分岐へ着く。右道は入口にアオキが茂っているので、気を付けていないと見逃してしまう。
分岐のカーブ
左へ進むと低い石垣沿いの道となり、途中から踏み跡程度の巻き道に変わる。
石垣沿いの道
踏み跡の道
尾根と合わさるあたりで右に岩を見て、尾根に取り付く。岩の多い雑木尾根を登ると、平坦地となり、方形状に石組みされた溜め桝を見る。
終点部の岩
岩が散在する尾根
方形状の石積み小穴
少し先へ進むと平坦地に四等三角点「大遠」を見つける。周りにアオキが茂り、平坦ピークなのでわかりにくい。ここも4年ぶりである。展望はない。
山頂部には石積みが散在する。
四等三角点
山頂部の石積み
石垣状
西側の平坦ピークを過ぎるとさらに明瞭な石積みがあり、コの字形に並べたものも見られる。
平坦尾根
西平坦ピーク
石積み
石積み
コの字形石積み
だだっぴろい尾根を西方向を確認しながら進むと、尾根が明瞭となり小岩が重なる小ピークに着く。
アオキ・雑木ヤブ
小岩が重なる小ピーク
アオキと雑木をよけながら緩い勾配の尾根を下っていくと、右から小段状の道(?)が合わさる。
アオキ・雑木平坦尾根
ヤブ気味平坦尾根
右から平坦道?(逆方向)
鞍部を登り返すと集塊岩いくつか並ぶところへ出る。集塊岩を見ていると、なんとなく石積みのイメージにつながるものがある。石積みが古代遺跡と仮定すれば、あくまで個人的な感想だが、古代人が集塊岩に何らかの神秘性を感じ、それを模した形で石積みを造り、祭祀の対象としたのではないかと想像をめぐらしてみた。
平坦鞍部付近
集塊岩
同上(右側面)
尾根を登り切ると小岩が重なった標高329mの春ノ木のピークに着く。展望はない。何もないかと思っていたら、最高所より少し北西方向のところに四方を保護石に支えられたコンクリート杭があった。
ヤブ気味の尾根
春ノ木山頂
山頂(逆方向)
コン杭
次はいよいよ村上水軍物見場跡をめざす。手がかりは観光案内図に示されたおおよその位置だけだ。
途中角ばった岩が散在する雑木尾根を下っていくと、小振りな集塊岩がある。
雑木疎林尾根
岩が散在する尾根
小集塊岩
間を抜けて、平坦鞍部を登り返すと小ピーク状の小岩が集まったところに出る。このあたりが270mピークの支尾根分岐点と思われる。
すぐ先の小平坦地から西方向へ向かう支尾根を下る。
尾根分岐部の小岩の重なり
小平坦地
雑木尾根を下ると丸い岩があり、すぐ先で傾斜の緩い平坦地となる。このあたりが物見場跡の位置ではないかと周辺を見るが、これと言った特徴らしきものは見当たらない。仕方がないのでもう少し先へ行ってみるようと下ってみると、小岩が集まったあたりから勾配のある斜面となる。前方には樹間わずかに海が見える。
とそばの斜面を見ると、石垣らしきものが目に入った。幅は短いが数種類の石が使ってあり、人工的に積まれたもののようだ。斜面に数段に分かれて設けられている。単に土留め用に造られたものかもしれない。
支尾根を下る
平坦地(逆方向)
下降先端部より樹間展望
石垣?




種類の違う石積み
中段の石積み
上段の石積み
周辺には物見岩と呼べるような平坦な大岩はない。強いて言えば、平坦地の上下にある岩であろうか。
これ以上下っても崖地となるので、ここで戻ることにした。
平坦地先端部の岩(側面)
平坦地上部の岩
帰路は尾根上のアオキヤブをまた引き返す気になれず、270mピーク先の小集塊岩あたりから尾根の左側(北)斜面をトラバースしながら戻ることにする。
期待したほど歩きやすくはなく、道があってもケモノ道程度だが参考にはなる。
左斜面をトラバース
同上
春ノ木のピークを巻き、一旦尾根上へ出て、次の集塊岩の先の鞍部付近からふたたび大遠ピークの左斜面をトラバースする。
支尾根の石垣.
大遠の左緩斜面
段々畑跡の段を登り替えたりしながら進むと、湿地帯の谷部で右に石垣が築かれた小溜池とおぼしきところを右に過ごす。
段状
石垣
ケモノ道?
湿地帯
小溜池の石垣
アオキヤブが濃くなったので緩い勾配の支尾根上へ上り気味に進むと、左にやや荒れた植林帯が現われる。
アオキヤブを避け右上方へ
緩斜面をトラバース
下方に植林帯
この先から緩斜面上に石積みが散在する地帯となる。祝島観光マップで古代遺跡跡と記載されているあたりだろうか。
石積み








石垣状
石積み箇所を抜けると、突然テープが付けられた古道跡に出会う。4年前に途中で引き返した道だというのをおぼろげながら思い出した。左折し道をたどると山道のカーブ地点へ合流する。
谷沿いに疎林を進む
古道と出会う
古道をたどる
山道へ出る
まだ時間に余裕があり、そのまま同じ道を戻るのは面白くないので、カタイ溜池分岐手前まで戻り、右の支尾根上の山道へ下る。前回も通った道だが途中のヤダケヤブはさらに荒れている。
農道上から八島
宇和島・ホウジロ島
平郡島・天田島
山道分岐
沢を横切る
ヤダケヤブ
ヤダケをなんとか抜け、山田農園の小屋で左折し、農道を歩いて港へ戻った。
山道下降地点(逆方向)
下降地点から耕作地が広がる
山田農園の小屋
石垣沿いの道
農道
舗装農道に変わる
農道
大星山・鳩ヶ峰
上盛山・皇座山
鼻繰島
八島
牛島
■村上水軍見張所跡について
『上関町史』(昭和63年発行)に、「祝島の物見遺構」の項として、次のような記述を見つけた。
こんにち、正確な位置はつかめないが、島のおよそ南西の崖面のみはらしのよい場所を削平して物見場所とした場所がある。狭い平地ではあるが、四隅に石が置かれ、柱穴もあるという。そして平地のすぐ上に水場もあり、水が少し出ていた。
以上は、かつて梅本重雄氏が実際に行って確認したところだと人に語った内容である。前述のように、この遺構はなお確認されていない。調査の困難な場所と思われるが、今後、明らかにされることが期待される。
■春ノ木の軍事遺構について
3月8日、棚田でお会いした平さんから次のような話をうかがった。
戦時中、春ノ木の山頂に苫葺きの見張所が設けられ、数名の兵隊が詰め、監視にあたっていた。
島民が交代で、飲料水を港の町から尾根伝いに山頂まで運んだ。
そこで今回三角点ピークの「大遠(オオトオ)」から「春ノ木」の先の物見場跡まで、とにかく行ってみることにした。なお島では山名を小字名で呼んでいるようなので、ここでもそれを採用した。(2015.02.20)
今回も午前6時10分出航の船に乗る。1週間前より夜明けが少し早くなったようで、港に着いたときは空がやや白んでいた。
まずは宮戸八幡宮をめざす。
八幡宮からは近道をして農道へ出る。
行者堂・平家塚の道標がある分岐までは前回と同じルートを取る。
そのまま舗装農道を進むと、右カーブのところで前方に大きく視界が開け、大遠へ続く山並みが眺められる。
コンクリート橋を渡るとすぐ左に未舗装道が分岐する。そのまま舗装道を直進し右へカーブしながら登り切るとカタイ溜池へ出る。前方に山惣津山方向の緩やかな尾根が望める。
分岐へ戻り、未舗装農道へ進む。
1kmほど進むと道沿いに資材が置かれたところで農道終点となり、細々とした山道に変わる。
200mほどで分岐となる。下へ向かう明瞭な左道ではなく、荒れた方の右道を取る。
イバラなどがはびこり、4年前よりかなり荒れており、最近人が入った形跡がないので、右道は見落としやすい。
ヤブを杖でたたいて道を開きながら進み、右へカーブになるとすぐに分岐へ着く。右道は入口にアオキが茂っているので、気を付けていないと見逃してしまう。
左へ進むと低い石垣沿いの道となり、途中から踏み跡程度の巻き道に変わる。
尾根と合わさるあたりで右に岩を見て、尾根に取り付く。岩の多い雑木尾根を登ると、平坦地となり、方形状に石組みされた溜め桝を見る。
少し先へ進むと平坦地に四等三角点「大遠」を見つける。周りにアオキが茂り、平坦ピークなのでわかりにくい。ここも4年ぶりである。展望はない。
山頂部には石積みが散在する。
西側の平坦ピークを過ぎるとさらに明瞭な石積みがあり、コの字形に並べたものも見られる。
だだっぴろい尾根を西方向を確認しながら進むと、尾根が明瞭となり小岩が重なる小ピークに着く。
アオキと雑木をよけながら緩い勾配の尾根を下っていくと、右から小段状の道(?)が合わさる。
鞍部を登り返すと集塊岩いくつか並ぶところへ出る。集塊岩を見ていると、なんとなく石積みのイメージにつながるものがある。石積みが古代遺跡と仮定すれば、あくまで個人的な感想だが、古代人が集塊岩に何らかの神秘性を感じ、それを模した形で石積みを造り、祭祀の対象としたのではないかと想像をめぐらしてみた。
尾根を登り切ると小岩が重なった標高329mの春ノ木のピークに着く。展望はない。何もないかと思っていたら、最高所より少し北西方向のところに四方を保護石に支えられたコンクリート杭があった。
次はいよいよ村上水軍物見場跡をめざす。手がかりは観光案内図に示されたおおよその位置だけだ。
途中角ばった岩が散在する雑木尾根を下っていくと、小振りな集塊岩がある。
間を抜けて、平坦鞍部を登り返すと小ピーク状の小岩が集まったところに出る。このあたりが270mピークの支尾根分岐点と思われる。
すぐ先の小平坦地から西方向へ向かう支尾根を下る。
雑木尾根を下ると丸い岩があり、すぐ先で傾斜の緩い平坦地となる。このあたりが物見場跡の位置ではないかと周辺を見るが、これと言った特徴らしきものは見当たらない。仕方がないのでもう少し先へ行ってみるようと下ってみると、小岩が集まったあたりから勾配のある斜面となる。前方には樹間わずかに海が見える。
とそばの斜面を見ると、石垣らしきものが目に入った。幅は短いが数種類の石が使ってあり、人工的に積まれたもののようだ。斜面に数段に分かれて設けられている。単に土留め用に造られたものかもしれない。
周辺には物見岩と呼べるような平坦な大岩はない。強いて言えば、平坦地の上下にある岩であろうか。
これ以上下っても崖地となるので、ここで戻ることにした。
帰路は尾根上のアオキヤブをまた引き返す気になれず、270mピーク先の小集塊岩あたりから尾根の左側(北)斜面をトラバースしながら戻ることにする。
期待したほど歩きやすくはなく、道があってもケモノ道程度だが参考にはなる。
春ノ木のピークを巻き、一旦尾根上へ出て、次の集塊岩の先の鞍部付近からふたたび大遠ピークの左斜面をトラバースする。
段々畑跡の段を登り替えたりしながら進むと、湿地帯の谷部で右に石垣が築かれた小溜池とおぼしきところを右に過ごす。
アオキヤブが濃くなったので緩い勾配の支尾根上へ上り気味に進むと、左にやや荒れた植林帯が現われる。
この先から緩斜面上に石積みが散在する地帯となる。祝島観光マップで古代遺跡跡と記載されているあたりだろうか。
石積み箇所を抜けると、突然テープが付けられた古道跡に出会う。4年前に途中で引き返した道だというのをおぼろげながら思い出した。左折し道をたどると山道のカーブ地点へ合流する。
まだ時間に余裕があり、そのまま同じ道を戻るのは面白くないので、カタイ溜池分岐手前まで戻り、右の支尾根上の山道へ下る。前回も通った道だが途中のヤダケヤブはさらに荒れている。
ヤダケをなんとか抜け、山田農園の小屋で左折し、農道を歩いて港へ戻った。
■村上水軍見張所跡について
『上関町史』(昭和63年発行)に、「祝島の物見遺構」の項として、次のような記述を見つけた。
こんにち、正確な位置はつかめないが、島のおよそ南西の崖面のみはらしのよい場所を削平して物見場所とした場所がある。狭い平地ではあるが、四隅に石が置かれ、柱穴もあるという。そして平地のすぐ上に水場もあり、水が少し出ていた。
以上は、かつて梅本重雄氏が実際に行って確認したところだと人に語った内容である。前述のように、この遺構はなお確認されていない。調査の困難な場所と思われるが、今後、明らかにされることが期待される。
■春ノ木の軍事遺構について
3月8日、棚田でお会いした平さんから次のような話をうかがった。
戦時中、春ノ木の山頂に苫葺きの見張所が設けられ、数名の兵隊が詰め、監視にあたっていた。
島民が交代で、飲料水を港の町から尾根伝いに山頂まで運んだ。
2015-03-01 17:10
コメント(3)
狼煙場では?
by yamakan (2015-03-03 17:32)
島で出会ったお年寄りも「のろし場では?」と言っておられました。ただ春ノ木までは行ったことがあるが、その先まで行ったという話は聞いたことがないとのこと。石垣らしきものがあると話したところ、それなら自分も是非行ってみたいとのこと。
祝島ホームページ登載の古い観光案内図には「?村上水軍物見場跡」とあり、位置は今回の到達点あたりに「∴」マークで示されています。
村上水軍物見場跡が地図に記載された事情はわかりませんが、何らかの根拠資料があるものと思われます。
by gomen (2015-03-04 19:22)
「村上水軍見張所跡について」及び「春ノ木の軍事遺構について」を追記しました。
by gomen (2015-03-09 23:27)