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金蔵山・貴船の峯(岩国市柱島) [離島の山]

前回(1月17日)歩いたあと関係書を調べていると、『柱島読本』(平成元年発行、柱島小中学校ふるさと教育研究会)掲載地図で、島の南東部の141mピークの山名が「貴船の峯」とわかった。時間の都合でこの前は「浦庄の浜」に行けなかったので、合わせて歩いてみようと1週間後にもう一度島へ渡った。(2015.01.24)
P1220040柱島(船内から).JPG柱島(帰路、船内より)
金蔵山・貴船の峯.jpg (1,2クリックで拡大)

いつものように高速船「すいせい」の始発便に乗り、島へ早朝に着く。
P1210812「すいせい」(岩国港).JPG 「すいせい」(岩国港)
P1210813「すいせい」(柱島港).JPG 「すいせい」(柱島港)

待合所を出て、今回は南へ向かう。
P1210814待合所.JPG待合所
P1210815柱島案内図.JPG柱島案内図

海岸沿いに進み、左に「柏口の浜」を過ごし、「妙見の鼻」にある賀茂神社をめざす。
P1210818柱島港.JPG柱島港
P1210822妙見の鼻・柏口の浜.JPG妙見の鼻・柏口の浜
P1210824小柱島.JPG浜から小柱島

S字カーブの舗装道を登り切ったところで分岐に出て、左に神社の石鳥居を見る。
参道へ向かい、石段を登ると立派な造りの賀茂神社がある。
左奥には天神社、恵比須社など諸社が並び祀られている。
P1210826賀茂神社へ上がる道.JPGS字カーブの道
P1210827賀茂神社石鳥居・参道.JPG石鳥居
P1210830賀茂神社.JPG賀茂神社
P1210831日露戦役忠魂碑・諸神社.JPG諸社

裏手の雑木斜面に取り付き、妙見の鼻の最高所(島案内図には「妙見山」とある)まで登ってみた。頂上手前で明治初頭に寄進されたらしい石柱を見ると頂上へ出る。以前は山頂部に何か祀られていたようだが、現在石柱以外に痕跡らしきものはない。低雑木に囲まれているが金蔵山が望める。
P1210842雑木疎林斜面.JPG雑木疎林斜面
P1210835奉寄進の石柱.JPG奉寄進の石柱
P1210836妙見山山頂部.JPG山頂部
P1210839山頂から金蔵山を望む.JPG金蔵山を望む

帰路は尾根伝いに尾根を南へ下ると、こちらにも石柱を見て、金刀比羅社や妙見社の小社があるところへ出る。
P1210843奉寄進の石碑(南端部).JPG奉寄進の石柱
P1210845妙見社.JPG妙見社
P1210846参道(逆方向).JPG参道(逆方向)

次に「新宮の鼻」をめざす。舗装農道を下ると左手に石鳥居があり、奥に北迫八幡宮の社殿を見る。裏側の一段高くなった広場奥には御旅所がある。
P1210847北迫八幡宮石鳥居.JPG石鳥居
P1210848八幡宮.JPG北迫八幡宮
P1210849裏側のお旅所.JPG裏側のお旅所

農道へ戻り、カーブのところから畦道を堤防へ向かう。堤防上へ出ると眼前に海が広がり、左手に砂州でつながった新宮の鼻が現れる。
P1210850洲鼻へ向かう道.JPG洲鼻へ向かう農道
P1210853堤防へ向かう地道.JPG畦道へ入る
P1210851新宮の鼻.JPG新宮の鼻

砂浜へ下りて、砂州を歩き、新宮の鼻の取り付きまで行ってみた。頂上まであがってみるつもりだったが、斜面の傾斜がきつそうなので、簡単にあきらめた。
P1210855砂洲でつながる新宮の鼻.JPG砂洲
P1210856新宮の鼻西海岸・妙見の鼻.JPG北側の海岸・妙見の鼻
P1210857黒島(広島県)・倉橋島.JPG黒島(広島県)・倉橋島
P1210858横島・鹿島・羽山島.JPG横島・鹿島・羽山島

本島側へ戻り、堤防沿いに洲鼻と呼ばれる砂嘴をめざす。続島が真向かいに見える。途中、桟橋の跡が残っている。昔の島の写真を見ると、このあたりは海水浴客で賑わっており、この桟橋と見られるものも写っている。
P1210860新宮の鼻から貴船の峰方向・砂洲.JPG砂洲と本島方向
P1210865続島.JPG続島
P1210868浦庄の浜・洲鼻.JPG浦庄の浜・洲鼻
P1210870桟橋跡?・続島.JPG桟橋跡・続島

砂嘴の先端まで行ってみた。両側から波が合わさり、餌が多いのか海鳥が群れていたが、近づくと一斉に飛び立った。
P1210873砂嘴.JPG砂嘴
P1210875砂嘴の先端.JPG砂嘴の先端
P1210876洲鼻から慰霊碑方向.JPG洲鼻から慰霊碑方向

戦艦陸奥英霊の墓に立ち寄ったあと、昔はこの上に賀茂神社があったためか「賀茂の下」と呼ばれる浜伝いに西へ向かう。
P1210877戦艦陸奥慰霊碑.JPG戦艦陸奥英霊の墓
P1210880賀茂ノ下.JPG賀茂の下
P1210884横島・鹿島・羽山島.JPG横島・鹿島・羽山島
P1210882長島・福良島・大見山.JPG長島・福良島・大見山
P1210881浮島・頭島・大島アルプス.JPG浮島・頭島・大島アルプス

海岸沿いの道が終わる手前で右へ分かれる耕作道があり、これに入る。
P1210887耕作道への分岐.JPG耕作道への分岐
P1210888耕作道.JPG耕作道

谷沿いに上方へ向かうと、小さな溜池と石柱を見る。このあたりは「宮の跡」と呼ばれるところなので、神社の名残だろうか。
P1210889石柱・池.JPG石柱・池

まもなく倒木などで道が荒れ始めたので、左の竹が茂る支尾根へ上がる。
P1210890荒れた耕作道.JPG荒れた耕作道
P1210892左斜面の竹林.JPG左斜面の竹林

段々畑跡の段上をいくつか越え、ヤダケなどをよけながら雑木林の支尾根伝いに登っていくと、ツルがはびこる荒れた平坦支尾根上へ出る。
P1210893段々畑跡の平坦地.JPG段々畑跡の平坦地
P1210896幅広の旧耕作道.JPG幅広の旧耕作道
P1210897尾根上のケモノ道?.JPG雑木尾根
P1210898雑木疎林斜面.JPG雑木疎林斜面
P1210899疎林尾根.JPG疎林尾根
P1210900ヤダケヤブの段状平坦地.JPGヤダケヤブの段状平坦地
P1210902左の支尾根.JPG小尾根
P1210904支尾根斜面.JPG支尾根斜面
P1210905ツルヤブの荒れた支尾根上.JPG支尾根上のツルヤブ
P1210906支尾根上の測量杭.JPG支尾根上の測量杭

前方へ進むとトタン小屋と出会い、小屋を回り込むと舗装農道へ出る。
P1210907トタン小屋(裏側).JPGトタン小屋(裏側)
P1210910作業小屋・舗装農道.JPG小屋・舗装農道(逆方向)
P1210909金蔵山山頂方向.JPG左前方に金蔵山

右折してまずは標高141mの「貴船の峯」をめざす。(島では貴船をなまって「こぶね」と呼んでいる。)
少し先へ進むと右の山側斜面に取り付く。
P1210911貴船(こぶね)の峯.JPG前方に貴船の峯
P1210912取り付き斜面.JPG取り付き斜面

尾根上に出て、測量杭が所々打たれた雑木尾根を登っていくと、平坦尾根となるあたりから切り開きの尾根道となり、少し歩きやすくなる。
P1210913尾根上に出る.JPG尾根上に出る
P1210914疎林尾根.JPG疎林尾根
P1210915樹間わずかに情島.JPG樹間わずかに情島
P1210916尾根上の切り開き.JPG尾根上の切り開き

山頂部に出ると、コンクリート杭を見る。『柱島読本』によれば、見張り所とのろし台があったとある。
P1210917山頂部・コンクリート杭.JPG山頂部・コンクリート杭
P1210919貴船の峯山頂部(逆方向).JPG貴船の峯山頂(逆方向)

帰路はそのまま尾根を下り、途中から峠へ方向を定めて、雑木疎林の斜面を下ると峠手前の小谷へ出て、舗装農道へ降り立つ。(最後は石垣の農道法面をよけて、やや峠側に降りる)
P1210920疎林尾根.JPG疎林尾根
P1210923疎林斜面.JPG疎林斜面
P1210924下に舗装農道.JPG下に舗装農道が見える
P1210925下降部.JPG農道下降部

「大峠」と呼ばれる峠で、直進の柱島港側へ向かう切り通しの道と分かれ、左折する。すぐ右上に柱島雨量局がある。
P1210926柱島雨量局・農道分岐.JPG大峠の農道分岐・雨量局
P1210927港方向の切通し・大峠.JPG切通し

峠付近から尾根上へ取り付くつもりだったが、ワナ設置の札がかかっているので、先へ進み、結局堰堤がある植林谷から取り付くことにする。
P1210929堰堤.JPG堰堤

堰堤の左端を回り込み、ヒノキ・スギの植林谷の斜面を急登する。
P1210930堰堤左端を登る.JPG堰堤左端を登る
P1210931植林急斜面.JPG植林急斜面

段々畑跡の段をいくつも越え谷を詰め、植林が終わるところから雑木林に入ると、まもなく尾根へ出る。
P1210934段状の植林斜面.JPG段状の植林斜面
P1210935植林谷.JPG植林谷
P1210936植林終端部.JPG植林終端部
P1210937谷のケモノ道?.JPG雑木斜面
P1210938支尾根(下方向).JPG支尾根へ出る(下方向)
P1210939支尾根(上方).JPG支尾根(上方)

測量杭が所々打たれている雑木疎林尾根を登っていくと、標高190mの平坦ピークに出る。
P1210940疎林支尾根.JPG疎林支尾根
P1210942疎林支尾根・測量杭.JPG疎林支尾根・測量杭
P1210943 190m平坦ピーク.JPG190m平坦ピーク

前方には深いシダが立ち塞がるので、右斜面へよけながら上方をめざす。
P1210944シダヤブ尾根が立ち塞がる.JPGシダヤブが立ち塞がる
P1210945右疎林斜面へ逃げ込みながら登る.JPG疎林斜面へ逃げ込む

尾根上は測量等でシダを分けた跡が残っているところは比較的歩きやすいが、油断するとサルトリイバラが隠れており痛い目にあう。
P1210946測量時等でシダを分けた跡.JPG測量等でシダを分けた跡
P1210947深いシダヤブ.JPG深いシダヤブ
P1210948広島県側の島々が広がる.JPG広島県側の島々を眺め一息
P1210949右からの支尾根と合流しやや歩きやすくなる.JPG小尾根と合流しやや歩きやすくなる

最後は身動きが取れないほどのシダヤブとなるが、格闘しながら何とか登っていくと、前方に三角点ピークそばに立つ展望案内板が見えたのでホッとする。
P1210952ふたたびシダヤブに突入.JPGふたたびシダヤブに突入
P1210953展望案内板が見える.JPG展望案内板が見える

まもなく三角点ピークへ抜け出る。一週間ぶりの展望を楽しむ。
P1210954.JPG三角点ピーク
P1210955倉敷島・黒島・鹿島・横島.JPG倉敷島・黒島・鹿島・横島
P1210956怒和島・津和地島・二神島.JPG怒和島・津和地島・二神島
P1210957続島・情島.JPG続島・情島
P1210958長島・福良島・鯛の峰.JPG長島・福良島・鯛の峰
P1210959大見山.JPG大見山
P1210960白木山方面.JPG白木山方面
P1210962浮島・頭島・嵩山.JPG浮島・頭島・嵩山

山頂への尾根上に散在する軍事遺構をもう一度確認しながら、金蔵山山頂へ向かう。
P1210963.JPG分岐への登山道
P1210964 100m表示(逆方向).JPGあと100m表示(逆方向)
P1210967山頂方向の登山道.JPG尾根沿いの登山道
P1210968尾根上へ向かう.JPG尾根上へ向かう
P1210974尾根上のササヤブ.JPG尾根上のササヤブ
P12109753ふたたび尾根へ上がる.JPG尾根への登山道
P1210977海側の展望.JPG貯水槽から海側の展望
P1210979.JPG見張所跡
P1210998.JPG見張所跡
P1210984.JPG見張所内部(北側)
P1210985.JPG見張所内部(南側)
P1210983.JPG中央部のコンクリート台座
P1210987山頂へ向かう登山道.JPG山頂への登山道
P1210988山頂への最後の登り登山道.JPG山頂へ手前の登り
P1210990金蔵山山頂.JPG金蔵山山頂
P1210991大見山.JPG山頂展望(大見山)
P1210992浮島.JPG山頂展望(浮島)

最後に山頂北側の探照灯跡(?)をもう一度確認した。
P1210993山頂北側の巻き道.JPG山頂北側の巻き道
P1210994方形の掘削地.JPG方形の掘削地
P1210995小貯水槽.JPG小貯水槽
P1210996方形コンクリート台座台座.JPG方形コンクリート台座
P1210997中央台座.JPG中央部の小台座

帰路は海側の眺めを楽しみながら、整備された一般コースを下る。
P1210999海軍境界石標.JPG海軍境界石標
P1220001シダが刈られた登山道.JPGシダが刈られた登山道
P1220003小柱島.JPG小柱島
P1220004続島・情島.JPG続島・情島
P1220007妙見の鼻・新宮の鼻.JPG妙見の鼻・新宮の鼻
P1220010.JPG登山道

前回見落とした「藤原穂智の墓」にも立ち寄る。墓は、「400m」表示を過ぎて北側に延びた支尾根上にあるが、現在目印はないので分岐を注意するしかない。この場所に「柱島城」の本丸があったという。
P1220011藤原穂智の墓分岐.JPG切通し状の墓分岐
P1220014墓地への山道.JPG墓所への山道
P1220012墓所・本丸跡.JPG墓所・本丸跡
P1220013藤原穂智の墓.JPG藤原穂智の墓
P1220017植林沿い.JPG植林沿い
P1220018竹林沿い.JPG竹林沿い
P1220020登山口の石仏.JPG登山口近くの石仏

登山口道標を過ぎ、柱島小中学校下の分岐へ出る。前回立ち寄れなかった松田港の方へ向かう。
P1220021.JPG登山口道標
P1220022貴船の峯.JPG小中学校から貴船の峯
P1220023.JPG学校下の分岐
P1220024柱島港.JPG柱島港

松田港から海岸沿いに北へ進み、島尻の浜が見える北端部まで行き、沖に小柱島と石小島を眺めたあと、柱島港へ引き返す。
P1220025.JPG松田港近くの石段
P1220026石仏.JPG石段上の石仏①
P1220027松田港.JPG松田港
P1220029小柱島.JPG小柱島
P1220032石小島・小柱島.JPG石小島・小柱島
P1220035手島.JPG手島
P1220034端島.JPG端島
P1220036島尻の浜.JPG島尻の浜
P1220037小磯・松田港.JPG小磯・松田港
P1220038.JPG石仏②
P1220039.JPG石仏③


■「中富次郎左衛門の墓」考
柱島港の南端に昔は岩礁だったと思われる小さな岩場があり、上に墓が見えたので上がってみると、古墓がやや傾いて海側を向いており、墓には法名「釋浄休」と「宝永三丙戌年二月九日」と刻まれている。(宝永三年は西暦1705年)
P1210820岩上の古墓.JPG岩上の古墓
P1210819岩上の古墓(宝永二年).JPG古墓

その後『岩国市史 資料編三・二』に収められた『柱島旧記』を見ていると、たまたま「浄休」の字が目にとまった。それには以下の記載がある。

「次郎左衛門、妻予州清和瀬三郎左衛門娘
   浄休、宝永二酉年二月九日
   妻妙誓、享保十乙巳年十月廿三日」

墓に刻まれた年が一年ほど違っているが、いずれかが誤ったか、没後ちょうど1年目に墓を建てたのかもしれない。

『柱島旧記』には、中臣弾左衛門に始まる歴代の人名とごく簡単な略歴が記されている。ただし、人名等が順に羅列されているだけなので各人の関係はわかりにくい。
中臣弾左衛門は、16世紀の終わりごろ当時柱南城領主だった桑原杢之助により非業の死を遂げたが、その子小次郎が親の仇を討ち、替わって柱南城領主となった。その後中臣(のちに中富)氏は島の有力者として庄屋を務めている。

話がこれですめば事は簡単なのだが、さらに『柱島読本』で次の記事を見つけて、話がややこしくなった。

同書には「中臣弾左ヱ門の墓」として以下の記載がある。

「せきとう鼻(来見のつけね)にある。表面的には、中臣次ヱ門の墓となっている。(伊予の方向に墓が向いている。次ヱ門の墓は、西栄寺にある。)」

これによると、表向きは次ヱ門の墓となっているが、実際は中臣家の先祖である弾左ヱ門の墓だということになる。
ここで言うせきとう鼻にある墓とは、今回柱島南端で見つけた墓であることは間違いないだろう。そうすると、墓に刻まれた釋浄休を次郎左衛門とする『柱島旧記』の記述と矛盾する。

これはどのように解すればよいのか。

『柱島旧記』を見ると、弾左衛門の何代か後に「次左衛門」という者がいる。同書に次ヱ門というのは見当たらず、次左衛門の誤りと思われる。次左衛門については以下の記載がある。

「次左衛門、甚左衛門トモ、女、次郎左衛門妻、次郎左衛門者甥之、何レノ子カ不知、法名不知、十月二十五日」

このことから、次左衛門には娘がいて、次郎左衛門という甥に嫁がせていることがわかる。甥の次郎左衛門は墓の主と同じ名であるが、存命した時代が違うようなので別人と思われる。

それではなぜ、表向きは次ヱ門(次左衛門)の墓で、実際は弾左ヱ門の墓だということになったのか。
そこでこの謎を次のように推理してみた。

①まず、次左衛門の甥の名が墓の主である次郎左衛門と同じであることなどから、何らかの混同があり次左衛門の墓ということになった。

②そうすると、西栄寺にも次左衛門の墓があり(実際にはまだ確認していないので、ここではあると仮定する)、墓が二つあるのはおかしいということになった。

③そこで、浜にある墓が弾左衛門の出身地である伊予の方角を向いていることから、「これは、後に何らかの事情で表向きは次左衛門の墓として、弾左衛門を祀ったのだろう」ということになったのではないか。

また、本来の墓の主である次郎左衛門も、『柱島旧記』によれば伊予出身の妻をめとっており、この墓だけ港の端にポツンと祀られているのを見ると、伊予に対し特別の思いや関係があったのではないかと推量される。

なお余談だが、往年の時代劇スター大友柳太朗は中富家の末裔で、小学校二年生まで柱島で育っている。

(追記)
西栄寺にあるという次ヱ門(正しくは次郎左衛門)の墓を確認するため、1週間後の2月3日に寺を再訪してみた。

寺の左にさほど広くない墓地があり、上の段の正面に「赤禰武人の墓」がある。次ヱ門の墓を探してみたところ、上段の右奥に寄せ墓風に数基並べてある中に、「釋浄休信士」と読める古墓を見つけた。次ヱ門と刻まれた墓は見当たらず、おそらくこれが次ヱ門の墓とされるものだろう。
ところが、墓の側面には「俗名 ○七」と刻まれている(○は「源」という字に見える)。反対側の側面には没年が刻まれているようだが、風化して読めない。これからすると、港の墓と法名は同じだが別人の墓とも考えられる。

これはどう解釈すればよいのか?
当初、西栄寺には次ヱ門の字が刻まれた墓があるものとして推論したわけだが、そこでもう一度推論をやり直してみた。

①あるとき、法名が「釋浄休」という墓が浜と寺の二箇所にあることがわかった。
② 「釋浄休」は次ヱ門(次郎左衛門)の法名であることは古文書などから知られており、同じ者の墓が二つあるのはおかしいということになった。(寺の方の墓は俗名が○七となっているが、これは無視し、その時は同じ次ヱ門の墓と考えたと仮定する。)
③そこで、浜にある墓が弾左衛門の出身地である伊予の方角を向いていることから、「これは、後に何らかの事情で表向きは次左衛門の墓として、弾左衛門を祀ったのだろう」ということになったのではないか。

P1220197釈浄休信士の墓.JPG釈浄休信士の墓
P1220198.JPG
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gomen

「中富次郎左衛門の墓」考に追記しました。
by gomen (2015-02-10 23:29) 

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